020: 尺八なんていらないのか

合奏時、糸方から、尺八なんていらない、といわれました。ショックです。

 

糸方が、尺八不要論を展開する場合、直面している問題は、以下の2つです。

1.尺八の演奏技量があまりにお粗末で、尺八に音楽を破壊されている
2.尺八の音量が大きすぎて無節操で、糸の繊細な表現が、演奏の結果として無視される

以下、それぞれの反省点と対策です。

1.に関して、

そもそも尺八が楽器として勝負できるレベルになるには、数年かかります。
数年で済む場合もあるし、一生そのままの可能性もあります。
楽器として勝負できないレベルの尺八は、幼稚園児のハーモニカと、音楽的にはいい勝負です。

それでは、楽器として勝負できるレベルとは、一体どんな状態なのか。

筆者の意見としては、「同じフレーズで、2通りの吹き方ができる状態」だと思います。

例えば、レーツレーという旋律があります。これを、普通に吹く場合と、曲の中のこの場面で自分ならこう吹く、とスイッチを変えて吹く場合、この吹き分けができるかどうかで、その尺八は勝負できる楽器かどうか、が判断できると思います。(当然演奏で使うのは、スイッチ変えて吹く方です)

少々乱暴ですが、だいたいこれで判断できます。音の出し方、指のアタリ方、ユリのかけ方、旋律解釈の能力など、総合的な尺八力がなければ、2種類の吹き分けはできません。

意識しすぎてもなんですが、この「2種類の吹き分け」を、目下の目標としてもよいと思います。向上心を自覚しながら、日々の稽古を積み重ねてください。

また、地歌など古典箏曲では、派手な入れ手を豪快に入れすぎて、糸を無視して一人で目立とうとする場合が考えられますが、これについてはまた別の機会に。

 


2.に関して、

尺八は楽器をはじめた当初、音が鳴りません。ゼロの状態から、だんだんと日々の稽古の中で音量を大きくしていきます。

よって、演奏技術の巧拙のベクトルと、音量の大小のベクトルが、初学時は一致しています。大きい音が上手なこと、という判断基準がフツーに成立してしまいます。

(この判断基準は、世間一般の楽器からすればアホなことこの上ないのですが、確かにスースーいってるだけより、ある程度ボーとかぴーとか鳴ってた方が、聴いてる方としても痛くないことは確かです)

つまり、尺八にとって、音が大きければ大きいほど、それは上手なことなのです。

そんな自己満足さを抱えています。

(ちなみにお箏の場合、初学者であっても、フォルテとピアニシモを既にある程度自由に使い分けることが可能であり、音量の大小は演奏の巧拙と直接は無関係なのに対し、尺八の場合、フォルテとピアニシモを使い分けるのは、ほぼ最終奥義に近い超高等技術です。音量に対する意識・考え方について、糸と竹では想像以上の乖離があり、尺八の勘違いはほとんど無意識のレベルです)

対策としては、
上級者であれば、響かせる音と響かせない音を場合場合で使い分けなさい、の一言でわかってしまいます。

これで全然意味の通じない人は、まず小手先でごまかすより、自分の音をつくり上げることに専念しましょう。合奏相手には、その点了解してもらえるよう、演奏外で努力しといてください。

自分の音をつくり上げるとは、1.の状態に持っていくことです。先はまだまだ先と、覚悟を決めてください。

 

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posted at 2004年09月09日 05:12 | Comment(0) | 尺八
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